黒紋付(黒い喪服)が、季節ごとに何枚もあります。
自分のもの、母のもの、姉から譲り受けたもの。
私の年齢では、もう着る機会は多くないと分かっているのに、前にすると簡単には答えが出せません。
もし、同じように「減らしたい気持ち」と「手放せない想い」の間で立ち止まってしまう方がいらしたら、
同じように迷っている方の、気持ちの整理の一助になれば嬉しいと思い、書きました。
着物を前にすると、片付けの答えが出せなくなる
着物を前にすると、いつも考えが止まってしまいます。
数だけ見れば「もう十分」「減らした方がいい」と、頭では分かっています。
今後、喪服を着る機会は、おそらく一度あるかどうか。
合理的に考えれば、持ちすぎです。
それでも、どうしても手放しきれず、心が揺れています。
手放せない着物が増えていく理由
自分で着物を着るゆえ
私は長年、着付け講師として活動してきたこともあり、一般の方に比べると、着物を着たり、触れたりする機会が多かったと思います。
だから余計に、着物を「衣類」としてではなく、
人の手の仕事として見てしまうのかもしれません。
縫い目や染の美しさ、糸の風合い、裏側の始末。
表面からは見えないところにこそ、長年着ていくほどに違いを感じました。
着物の価値が見えてしまう
職人さんの誇りや思い入れが宿っていることを、
身体で感じてしまうのです。
特に、姉や母の古い着物に触れると、
その技の確かさや、時間をかけて作られたことが伝わってきて、
これらを処分するのは忍びないのです。
高貴で、静かで、凛としていて。
「よくぞ、ここまで心を込めて丁寧にに作られたものだな」と思ってしまう。


受け継いだ着物を整理する難しさ
母の喪服は、サイズが合わず、現実的には着られません。
それでも、そこに込められていた時間や役目を思うと、
簡単に「処分」という言葉に置き換えられない気持ちがありました。
姉の喪服は、最近譲り受けたものです。
羽織ってみると、品質が良く、サイズも合い、着付けもしやすい。
「もし次があるなら、これを着るだろうな」
そんな感覚が、自然に湧いてきました。
年齢とともに、着物の片付けが負担になる
けれど同時に、年齢を重ねるにつれて、
片付けそのものが、少しずつしんどくなってきています。
着物があること自体よりも、
“いつかどうにかしなければ”という思いが、
心のどこかにずっとあることが、負担になっているのです。
大切に思う気持ちと、
スッキリと合理的に整えたい気持ち。
その狭間で、私はいつも揺れています。
どちらか一方を選べない自分は、
欲張りで、身勝手なのではないか。
そんなふうに思ってしまうこともあります。
でも最近、少しだけ気づきました。
これは「捨てられない」のではなく、
素晴らしさがわかってしまうから、簡単に手放せないのだと。
着物の価値が、
人の手の重みが、
時間の積み重ねが、
見えてしまうからこそ、苦しいのだと。
合理的にスッキリさせたい気持ちも、本音
そして同時に、
これからの自分が少しでも楽に生きるために、
整えたい、軽くなりたいと思うのも、
とても正直な気持ちなのだと思います。
昨年、一念発起して着物の断捨離をしましたが、心も体もすっかり疲れ果ててしまいました。年齢を重ねるにつれて、この負担はさらに大きくなっていくように感じています。

今は答えを出さないという整理のしかた
今は、無理に答えを出さないことにしました。
残すものもあれば、感謝して送り出すものもある。
その判断は、今後もきっと変わっていくでしょう。
揺れながら、選び直しながら、
その時の自分にとって無理のない形を探していく。
それでいいのだと思っています。
思い切って、母の単衣の黒紋付をリメイクし、ジャケットとワイドパンツの一揃えを作ったことがあります。五年ほど前、本を見ながら手探りで挑戦しました。黒生地を手縫いする作業は、今の自分には少し重たい仕事かもしれません。

母の単衣の黒紋付をリメイクし、一揃えを作りました。
手放せない着物と向き合う人へ
もし、同じように
大切に思うからこそ手放せず、
でも心のどこかで重さを感じている方がいたら、
「あなたもおかしくないですよ」と伝えたい。
その揺れは、
感性があり、人生を丁寧に生きてきた証なのだと、胸を張ってもいいのだと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
答えの出ない揺れの中にいる方に、この文章がそっと寄り添うものになれば嬉しいです。

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