アラフォーから始めた着付けが、私の人生を変えてくれた話──講師を目指す方の背中を押すリアル体験記

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目次

結論

アラフォーで着付けを始め、気がつけば講師に。

最初は“介護の言い訳”として始めた習いごとが、いつの間にか私の人生を豊かに彩ってくれました。

年齢も経験も関係ありません。

「着物っていいな」「着られるようになりたいな」──その気持ちがあれば、誰でもいつからでも踏み出せます。

これは、ひょんなきっかけで着物にドハマリした、私のリアルな歩みの記録です。

着物はたくさんあるのに、なかなか着るきっかけがなくて…

「今さら遅いかしら」とか、「家のことで忙しいし」と迷っている方、

私自身、子育てや介護の合間に始めた着付けが思いがけず人生の転機になりました。

同じように迷っている方の背中を、そっと押せたらうれしいです。

着物で出かけた私を見て、50代から着物にハマった友人も。

講師として教えることは、そんな新しい扉を開くお手伝いもできると感じています。

きっかけは、母の入院でした

着付けを本格的に学び始めたのは、30代後半。

きっかけは、実母の入院でした。私は用事がない限りほぼ毎日、病院に通っていました。

母の病院には毎日通うことはできても、心のどこかで無理をしている自分がいました。

そんなモヤモヤしていたある日ふと目にした新聞広告──「着付けとマナー3ヶ月講座」の案内に心を惹かれ、すぐ電話して申し込みました。

なにか「正当な言い訳」がほしくて通い始めたのが、着付け教室でした。

個人の着付け学院で、院長先生から直接、[手結びの着付け]を学べる教室でした。

この出会いが、私の人生をがらりと変えてくれることになります。

母も着物好きだったので、病院に行けない日があっても着付け習得を応援してくれました。

手結びが私の着付けの基礎に

軽い気持ちで始めた教室でしたが、そこで学んだ「手結び」の技術が、のちに私の着付けの基礎となりました。

院長先生の熱意あるご指導、生徒さん仲間との交流、着物そのものの魅力に、どんどん引き込まれていきました。

着物を着ることが楽しく、着付けの奥深さに夢中になっていく自分がいました。

母の体調が良い日には、着物を着せて一緒に出かけることもあり、二人で着物を楽しみました。

今思えば、どんなきっかけであれ、本当に良い出会いと学びだったと、心から感じています。

「手結び」とは、腰紐(こしひも)を3本だけ使って、道具を使わずに簡単で楽に美しく着物を着ることができる、昔ながらの着付け技術です。無駄な道具に頼らず、誰でもきれいに着られるように、院長自身が工夫して作り上げた、合理的で美しい着付け方法になっています。

いろいろな着付け方法を学んできましたが、改めて「手結び」の良さを実感しています。
70歳を過ぎても、大好きな着物を着て、着付け教室でのお仕事ができたのは、素晴らしい教室に出会えたおかげです。

紅花紬で有名な染織作家、山岸幸一氏の紅花紬に、着物好きの和裁士でもある大先輩にいただいた個性的なひげ紬の帯です。半衿のバレンタインのチョコの刺繍をコーディネートのポイントに!

紅花紬で有名な染織作家、山岸幸一氏の紅花紬に、着物好きの和裁士でもある大先輩にいただいた個性的なひげ紬の帯です。半衿のバレンタインのチョコの刺繍をコーディネートのポイントに!

教室を開き、講師として活動

基礎講座を終えてからは、段階的に級が上がり、友人のすすめもあり、やがて着付け師、インターンを経て、講師として教室の看板をいただくまでになりました。

自宅を改築したのを機に、家で小さな教室を開き、本校の上級者コースの講師のお手伝いも並行してさせていただきました。

「教えるなんて思いもしなかった」私が、自然な流れで人に伝える側へと進んでいったのです。

その後、家族が増えたり、生徒さんが一区切りを迎えたりと生活が変わる中で、教室はいったんお休みに。

59歳にして私はレンタル着物店にアルバイトとして働き始め、60歳で正社員にしていただきました。

現場で学んだことと、コロナ禍の転機

レンタル着物店での業務は多岐にわたり、着付けだけでなく、日本人やインバウンドのお客様への接客、洗濯、片付け、在庫管理など体力を使う仕事も多く、膝や腰、手指には今も影響が残っています。

激務ではありましたが、講師の仕事とは違い、どんな体型の方にも対応できる着付けの技術を習得したり、お客様からの嬉しい言葉をいただけたりと、貴重な学びがたくさんありました。

さらにその後は、大手着物メーカーからの業務委託での講師、百貨店での悉皆受付など、着物に関わる3つの仕事を掛け持ちする日々。

しかし、コロナ禍でレンタル店は観光客が激減し、腰痛、膝痛に限界を感じたことも有り私は退職を決断。

あまりに忙しかった毎日から少し離れて、「自分がこれからできることは何か」を考える時間が持てるようになりました。

悉皆(しっかい)とは、着物に関するお手入れや加工全般を取り扱う専門の仕事や業者のことを指します。もともとの意味は「すべて・ことごとく」ですが、着物の世界では特別な意味を持っています。

着付けがもたらしてくれた豊かさ

着付けに関わる仕事を続けていく中で、気づけば高価な着物を手にすることもありましたが、それに見合う収入も少しずつ得られるようになっていました。

軽自動車が買えるほどの金額の着物も…。今はその整理に四苦八苦しています(笑)

でも、メーカーさんから手仕事の価値や技術の丁寧さを学んだことで、その価格にも納得がいきます。

何より、着付けの資格があったからこそ、60歳から正社員として働けたり、70歳でも業務委託の講師として仕事ができたり、百貨店でも信頼していただけたのだと思います。

手に職があるって、やっぱり強いんですね。

他に資格も経験もなかった私ですが、人生の最終章でようやく自分の花を咲かせることができた気がします。

そして今も、着物を着て日々を楽しんでいます。

これから目指す方へ──年齢は関係ない

現在は講師業を離れ、Instagramやブログを通じて着物や着付けに関する情報を発信しています。

また、着物リメイクや友人たちの着物整理もお手伝いしながら、今も自分なりのかたちで着物と関わり続けています。

誰かの「ちょっとした疑問」や「着物を始めたい気持ち」、そして「着物に関するお困りごと」に、少しでも寄り添えたら…そんな思いで発信を続けています。

子育ても、介護も、親の看取りも終えた今、私はようやく自由な時間を持てるようになりました。

これからは、夫や家族と仲良く、健康に暮らしていけたら──それが私のささやかな願いです。

着付けは、私の人生を本当に良い方向に導いてくれました。

だからこそ、今着付けを始めたい、講師を目指してみたいと思っている方に、心から伝えたい。

年齢や立場に関係なく、いつからでも始められます。

そして、学んだ先には必ず“誰かの役に立てる”喜びが待っています。

あなたのペースでよいので、ぜひ一歩を踏み出してみてください。

講師として活動する中で誂えた着物や帯は、落ち着いた色合いや控えめな柄など、おとなしい雰囲気のスタイルが主流でした。

講師として活動する中で誂えた着物や帯は、落ち着いた色合いや控えめな柄など、おとなしい雰囲気のスタイルが主流でした。

プライベートでは自由なスタイルで楽しむことが多くなっています。

派手な大島紬に花がらの帯を締めてモノトーン洋服ミックスでUSJに行ったコーディネート写真

まとめ

着付けとの出会いは、私の人生にとって本当にかけがえのないものとなりました。

経済的にも、そして心理的にも、大きな支えになってくれたのです。

ここまで読んでくださったあなたにとっても、何かひとつでも心に残るものがあれば幸いです。

また、この記事が、「私にもできるかも」と思える小さなきっかけになればもっと幸いです──着付けを楽しみたい方にも、教える道を考えている方にも!

Instagramでは日々の気づきや、着物との暮らしを発信しています。

よろしければそちらも覗いてみてくださいね。

Instagram https://www.instagram.com/mitukokimono_kyoto/

最後までお読みいただきありがとうございます。

着付け教室も開講しています。お気軽にお問い合わせください。お待ちしております。

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